自分が描いたドロ-イングを蜜蝋の上に転写する
転写することにより、自分が描いたドロ-イングが反転する

二つのことの間を行ったり来たりする
もしくはその狭間にあるものを思う
自分の作品の原点は、光と影の具象の作品にある
そこから様々な物が絡み合い現在に至る
二つの極を行ったり来たりすることを基本として、私は制作する
今回は、そんな自分のテ-マを蜜蝋転写により模索してみた

使用した紙は、古本屋で見つけたボロボロで黄ばんだ冊子の紙
昭和16年の戦時中の何かの冊子のようである。
それらのペ-ジを1枚1枚剥がして、和紙で裏打ちをし
水彩絵具や油絵の具で下塗りする
そんなことをしているうちに
何か、再生を試みているような気分にもなってきた
しかし、私は白の絵具を塗り、内容をほとんど消してしまっている

蜜蝋を塗り、自分のドロ-イングを転写する
蜜蝋転写は蜜蝋がいたずらをするので、蜜蝋がやることに任せる
そうすることにより、もう1クッション
自分と離れたものにする。

2016,1 田鎖幹夫 (WAX WORK SITE vol.14)

彼方から

1980年頃、たくさんの写真を撮っていた
どこからか陽の光が入り影ができる風景、石膏の球体を自分で置いて影のできる風景
それらを基に写実的な作品を制作していた。
年月の経過は見える範囲を変える、蜜蝋転写の制作のために当時の写真を引っ張り出して
ながめているうち、当時の風景からの再制作を思い立ち、何枚かの作品が仕上がった。
自分の姿を消すこと、それは当時も今も変わらない。
消した後に残るもの
さて、それが何か、その思いは今も変わらず続く。

2015,4 田鎖幹夫 (ART PRI GALA 個展)

制作に関して


二つのことの間を行ったり来たりする
もしくはその狭間にあるものを思う


二つのことは、単純に言うと、二つの色であったり
色と線であったり、動と静であったりする
その都度、複雑様々である
画面の中でそうしたものが複雑に絡み合い
バランスが取れた時、作品が自然に立ち上がる
それは感覚の世界のことなので、説明は難しい


近年、私は蜜蝋を使用するようになっているが
それは今までの水系の絵の具を使用して描いていた画面に
水をはじく物質の蜜蝋というものを新たに組み合わせること
また、蜜蝋が作る偶然性のある線と
手で直接描く線という二つのことを組み合わせること
そうしたことを画面に新たに加える事を模索している



自分の作品の原点は、光と影の具象の作品にある
そこから様々な物が複雑に絡み会い現在に至る
二つの極を行ったり来たりすることを基本として、私は制作し世界に対する





2014.田鎖幹夫

TEXT




地味の滋味—描きつづけること自身から      


 絵を長い間、描き続けるという行為は人にとって、どんな所業なのだろうか。注文に応えて
大画面にも取り組むことを生業とした昔の画家たちは、職人でもあったわけだが、それを生活
の資とするしないはともかく、個人の嗜好による表現の探究や持続ができる人生のなかで、き
わめて個的に描き続けるのは・・・。たとえば若い頃には、油彩やアクリルによってフォーマ
ルな絵画を描くことが画家の制作であると思っていた者が、既成のキャンバスと絵の具で描き
つづけるうちに、その形式と手法自体になじめないことに気づく。そこで絵をやめるのも道理
だが、より自分の性に合った画法をさがし、編み出す場合もある。よほど描くことが好きとい
うのか、取り憑かれていると言うべきなのか。自己流の下地作りから描いたり、洗ったり、削
ったりしながら生みだされるに到った田鎖氏の絵は、そのような絵描きの業である。こうした
場合、あまりフェティッシュにさわり過ぎると、絵なのか、本人が気持ちいいほどの滲みなの
か、わからなくなってしまいがちだが、ときには音楽を聴きながらカオスの溝をさぐるように
ドローイングされる木炭や鉛筆の描線がいい。それは弦楽の層を縫ってひびき、揺らめく管楽
器やピアノの音のようだ。よく現れてくる二つの相似したかたちは、ずっと作者の心の深層に
棲んでいるらしい存在の輪郭とその影の消息のようでもある。外部から借りたイメージではな
く、描きさぐるうちにいつか画面が表面からは見えない人間の内奧に息づく存在の容貌を紡ぎ
出す場に変わっている。田鎖氏の地味な絵の滋味に惹かれるわけは、その辺りにあるようだ。


   鷹見明彦(美術評論家)




手に木炭を持って線を描く、水の力でその線を消す
再び手で線を描く、岩絵の具で消す。再び手で線を描く
今度はアクリル絵の具を流し込む、
絵の具がしみ込んでいく経過を眺める、
自然に乾くのを待つが、自分の意思で、その流れを止めることもある。
絵の具を水で溶かし滲ませる、蝋を塗るとその部分は
水を受け付けなくなるので、今度は絵の具をはじく。

そうやって相反するものを頭の片隅に置き、計算しながら制作する、
現実が思うようにならないのと同じように、制作も思うようにはならない。
右へ動き、左へ動き、体の中でバランスを取りながら。
様々なものが複雑にからみあい、いつしか音が聞こえてくる時、
自然に作品が立ち上がる。それは遠い昔、身体で覚えたもの。





2012.11田鎖 (AR PRO GARA  個展)